多様な声が、構想を事業に変えていく——artienceがPALETTEに新規事業の拠点を構えるまで

色材や樹脂を手がける化学メーカーのartience株式会社が、人とAIエージェントの関係性を扱うHAI(Human-Agent Interaction)領域で新規事業に取り組んでいます。担当するグループR&D本部企画部の徳永北斗さんがMIRAI LAB PALETTE(以下、PALETTE)を初めて訪れたのは2026年2月。翌3月には個室「base-01」を拠点にしました。PALETTEコミュニティマネージャーの鎌北雛乃も交え、事業が動いた半年間を伺いました。
機能の先にあるものを探して、HAIにたどり着いた
——色材や樹脂を扱う化学メーカーが人とAIの関係性という領域に踏み込むのは、かなりの飛躍に見えます。どういう経緯だったのでしょうか。
徳永さん:artienceは2024年1月に東洋インキSCホールディングスから社名を変え、「感性に響く価値を創りだし、心豊かな未来に挑む」をブランドプロミスに掲げています。 もともとの色材にしても、人の心に働きかけるような価値 を提供してきた会社です。ただ科学という文脈で語ると、どうしても機能に寄った説明になっていく。新しい社名のartienceは、人の心に働きかけるような価値(art)と、確かな技術に裏打ちされた機能や高い品質に基づく信頼(science)を融合した言葉であり、自分たちの本質はどこにあるのかを見直した結果が、社名変更だったと受け止めています。
その流れとは別に、私たちは東洋インキの時代から自社の樹脂や材料を使ったセンサーデバイスをつくり、販売の実績もありました。そのデータで別のビジネスができるのではないかという話が出てきまして、2023年にAIエージェントをつくり、展示会に出しています。
——反応はいかがでしたか。
徳永さん:技術者の方からは「性能がいいですね」と評価をいただきました。ところが一般の来場者は、展示が最後まで終わらないうちに退室してしまう方がとても多かったのです。
どれだけ機能を上げても、その人に刺さらなければそこでインタラクションが終わってしまう。エージェントだけを切り取っても、人間だけを切り取っても足りない。全体を考えることが重要なのではないかと思うようになりました。そこで出会ったのが、人とエージェントの関係性を一体のシステムとして捉えるHAIという研究領域です。機能だけではなく感性も大切にするという点で、artienceの本質に戻ってきた感覚もありました。

——徳永さんご自身は、このプロジェクトでどういう役割を担われているのでしょうか。
徳永さん:いまは企画をしています。どのシーンに使っていただくかという発案から入り、動き出したあとはプロジェクトリーダーの立ち位置になります。チームは企画が私ひとり、技術がひとり、データ関係で関わるメンバーが2人です。
——そのなかで、社内だけでは解決しない課題を感じる場面はありましたか。
徳永さん:もともと化学メーカーですので、社内のチャンネルはどうしても化学に寄っています。ただ私たちがやりたいことは、化学関係者を対象にしたものではありません。チャンネルを広げる必要があったというのは、大きな課題でしたね。
いろいろな場所で検証を重ねないといけないのに、そのツテがまったくない。どうしよう、どうしようと言いながら社外に繰り出した結果、なんとかここまでたどり着きました。いまは会社に行くのが月に1回くらいで、名刺がすぐになくなるので、会社に届いた名刺を受け取るために出社することもあります。
初対面のその日に決まった、新規事業の拠点
——数ある選択肢のなかで、PALETTEを活用しようと思われた理由を教えてください。
徳永さん:正直に言うと、PALETTEの存在は知りませんでした。社外を回るなかで出会った方が「PALETTEはすごくいいよ」と紹介してくださって、見学させてほしいとお願いしたのが始まりです。決め手は集まっている人の幅の広さでした。実際に来てみたら予想を超える多様な方々が集まっていて、一言でいうとカオスです。
鎌北:徳永さんとは2月にお話しして、その日のうちに「一緒に何かチャレンジしましょうよ」とお声がけしたんです。プロトタイプをつくっていて実証実験をしたい、いろいろな人に見てもらって事業をブラッシュアップしたいとおっしゃっていたので、それならこの部屋をartienceさんのチャレンジルームにしてしまいましょう、と。それで3月からbase01が同社の新規事業の発信拠点になりました。
——初対面の日にその提案を受けて、どう受け止められましたか。
徳永さん:その場では「ぜひ」とお答えしたのですが、実はあまり信じていませんでした(笑)。初対面でしたし、本気なのかノリなのか分からなかったので。ただ2月のPALETTEご縁日(メンバー同士の交流イベント)にブース出展させていただき、実証実験の資料を改めてお持ちして、きちんとプレゼンをさせてくださいとお願いしたんです。
——ご縁日ではどんなものを展示されたのですか。
徳永さん:チラシを配る猫型のロボットと、ハンガーの試作品を出しました。
鎌北:猫がチラシをくわえていて、来場者が受け取るかどうかを観察する展示でした。大量に配る機能はまったくないんです。でも、かわいい猫だったら受け取ってもいいかな、という気持ちにさせる。人との関係性を焦点にしたとき、どういう反応が返ってくるのか。そこを体感してみたかったのだと思います。
——他の拠点も利用されていると伺いました。PALETTEの特徴はどこにあると感じますか。
徳永さん:私がいま使っている他の場所は、入居する企業の属性が決まっていて、その枠のなかで共創ができるかを探る形です。PALETTEは大企業だけが集まる場所ではありません。そこがまず大きな違いだと思っています。
入ったあとで言うと、個性的な方が本当に多い。名前を聞いたことのない会社の方にお話を伺うと驚くようなことをされている。フリーランスの方の話は飛び過ぎていて、そういう人生もあるのかと思わされます。森をこよなく愛している方のお話を伺ったこともありました。ビジネスを一旦脇に置いて、自分にない部分を広げてくれる場所だと感じています。
鎌北:PALETTEが個人登録にこだわっているのは、まさにそこなんです。組織で登録すると全員が同じ熱量とは限りませんし、ローテーションで人が入れ替わっていきます。個人でつながっていれば、徳永さんが数年後にまったく別の事業をやっていたとしても、メンバーであり続けてくださる。新規事業は最初から30人の組織で始まることはほとんどなく、ひとりかふたりなど個人の思いや少人数の共感から始まることも多いです。その方々がここでつながって事業が前に進めば、組織はあとからついてくる。PALETTEでは熱量や志高く、(新規)事業にチャレンジしている方々を応援したい。当初からずっとこだわっているポイントです。
率直な声が、事業の行き先を広げた
——2026年7月には「かわいいエージェント × 日用品」をテーマにした座談会をPALETTEで開催されました。構想段階のアイデアを外に出すことに、迷いはありませんでしたか。
徳永さん:まったくありませんでした。アイデアだけならいくらでも出せるんです。結局それを形にできるかどうかですので、出すリスクとメリットを比べれば、圧倒的にメリットのほうが大きいと思っていました。
会社として、構想段階のものを社外に出す進め方は、あまり前例がないと思います。化学メーカーですので、技術を社外に出すことには慎重です。それに既存のビジネスは、課題が先にあって、それに対してものをつくっていく。一方で、いま私たちがやっていることは、課題ベースだけとは限りません。新しい考え方を世に出そうとしているので、そもそも見せないと、どういうものなのかを分かってもらえないんです。
——実際にやってみて、得られたものは何でしたか。
徳永さん:いい意味で、想定していたターゲットとは違うのだとよく分かりました。もともとカップル向けにつくっていたものが、お子さんのいるご家庭にも展開できるかもしれないという未来が見えたんです。
一方、同じものであっても別の場でヒアリングをするとカップルの反応が大きいという結果も出ています。両方を同時に進めるにはリソースが足りないので、いまでもどちらを優先して進めるべきか悩んでいます。ただ仮に一方に進んだとしても、次のステップでもう一方に展開できるという地図が頭のなかにある。それは座談会のおかげだと、はっきり言えます。
——参加された方は、どんな顔ぶれだったのでしょうか。
徳永さん:2回開催しまして、1回目は自治体の方とIT関係の方、2回目は商社の方、ピラティスやヨガを指導されている方、自治体の方、メーカーの方でした。職種もばらばらで、企画の方も、DXや経理に近い領域の方もいます。
鎌北:私自身の学びにもなったのが、マーケティングのターゲットという見方をすると、PALETTEに集まる人にも一定の偏りがあると分かったことでした。徳永さんが想定されていたのは、パートナーとの関係性において節目や特別な体験を重視し、記念日などを通じて関係性を深めることを大切にする方です。ところがPALETTEに来る方は男女を問わず精神的に自立していて、パートナーとの関係自体は大切にしながらも、それを特定のイベントや記念日に強く結び付ける方はあまり多くありませんでした。そのため、毎月の記念日を欠かさず祝うといったライフスタイルの方はあまり多くありませんでした。
——一般的な市場調査だと、事前アンケートで条件に合う人を絞り込んで会場に集めます。今回はまったく違う形式でした。
徳永さん:いわゆる「ザ・インタビュー」のような調査は、別に実施しています。今回は鎌北さんに、こういうものに興味がある方はいませんかとご相談したところ、動いて集めてくださいました。バイアスがかかっていない状態で聞けたのは、本当に価値のあることでした。市場調査の会社にお金を払っても聞けない言葉が聞けましたし、ドライな反応もあって、こういう反応が欲しかったんだと感じる場面が何度もあったんです。
鎌北:みなさん、アイデアも出してくださるんですよね。こういうものだったらいいかもしれない、知り合いにこういう人がいる、と自分のエピソードに重ねて徳永さんにぶつけていました。
——座談会とは別に、base-01でのヒアリングも実施されたと伺っています。
徳永さん:鎌北さんにお願いして20人から30人ほど集めていただき、この部屋(base01)で体験していただきながらヒアリングをしました。
そこで、コミュニティらしいと感じた出来事があったんです。ある方に体験していただいた時に、私は「反応が良くないな」と思っていました。あまり興味がありませんという感じで指摘ばかりされて、この方には刺さらなかったなと。ところが後日、別の方から「あの方、めちゃくちゃ感動していましたよ」と聞きました。私がいないところで、サービスや考え方をとても褒めてくださっていたと。それなら私に伝えてくださいよ、とも思うのですが(笑)、別の方から伝わってくるのは、まさにコミュニティならではだと思いました。
——ヒアリングを重ねたことで、事業の進め方に変わった部分はありますか。
徳永さん:従来の事業でものづくりをする際は、まず、機能的価値を充実させていくことが多いです。ところがHAIでは感性が先にあります。まず受け入れてもらう必要があって、そのためには、ものがないと反応が得られません。その反応をどこで得るのかに苦労していましたので、実物を持って「どうですか」と聞ける環境が用意できたからこそ、思った通りに進められたと感じています。
社外で集めた声が、社内の意思決定を動かす

——社外で集めた声は、社内の意思決定にどんな影響を与えていますか。
徳永さん:ヒアリングの結果は、社内でもかなり重視されます。事業として進めるかを判断する場面で、意思決定者が「どれだけヒアリングをしたか」を見ている印象があるんです。
もうひとつ大きいのは、決裁者が必ずしもターゲット層ではないという点です。この領域にあまり興味を示さない層に向けてプレゼンをしなければならない場面があります。そこで、ちゃんと刺さる人がいる、反応してくれる人がいるという事実を共有し続ける必要がある。それができたのには、大きな意味がありました。
たとえば、その製品自体は買わないけれど、キャラクターと何かをするのは好きだという方がいます。このシーンでは使わないけれど、関係性そのものは好きだという方もいる。そういう方々が、後々の私たちのターゲットになっていきます。いまはまだ当てはめられる製品がないだけで、そういう人は確かにいるんだと言い続けたいと思っています。
——HAIの取り組みを通じて、どんな世界をつくりたいとお考えですか。
徳永さん:日用品は取り組みのひとつで、出発点はパーソナルAIエージェントです。相棒のような存在で、うまい言葉を言い続けるわけではないけれど、自分のことをちゃんと分かってくれている。そういう世界観をつくりたいと思っています。
もう少し上位の話をすると、誰かが不利になるようなサービスにはしたくありません。機能的価値を突き詰めると、いかに依存させるかという方向に舵を切りがちです。それでその方が不利になるのは良くない。人間らしさや人間の役割をもっと広げるエージェントデザインができるといいですね。
——新規事業の担当者にとって、社外に接点を持つ場としてPALETTEを使う利点はどこにあると思われますか。
徳永さん:やはり、多様な方に出会えることが本質だと思います。既存事業の延長にある新規事業なら、お客様はある程度決まっていて、進むルートが見えているはずです。でも、そうではない事業に取り組む方はかなりいらっしゃる。何をしたらいいか分からない、社内にそういうチャンネルがない、違う分野の人と会ったことがない。その一歩目として、PALETTEはとてもいいのではないでしょうか。鎌北さんという人をつなぐ強力なハブがいらっしゃるので、とりあえず聞いてみようという安心感もあります。
ただ、来るだけでは何も生まれないというのは、どの施設にも共通する話です。そこからどう動くかは個人の意欲や行動力による部分が大きい。きちんと自分から発信していけば、サポートしてくださる体制と考え方がここにはあります。
鎌北:徳永さんは、自らネットワークを広げようとされる意志と行動がすごいんです。その姿勢を見せてくださるから、私も「だったらもっとこういうことをしましょうよ」と提案させていただける。徳永さんの思いに、私たちも応えたいと思っています。
——最後に、今後PALETTEで挑戦してみたいことを教えてください。
徳永さん:まず、メンバーのみなさんとお話ししてみたいですね。お会いできているのはまだ数百人ですので、まだ出会えていない方にお話を伺いたいです。
もうひとつは、少し大きな話になります。新しいことをやる、まったく違う価値観を示すというのは、世の中には発信しづらい空気があるようにも感じています。課題が先行していて、王道はこちらだと分かっているけれど、少し別の道にも行ってみたい。そういう気持ちを出しにくい場面があるんです。それだけじゃないんじゃないの、ということを、結果で示せるといい。そのためにPALETTEを最大限活用させていただきたいと思っています。既存のビジネスの考え方以外にもできることはあるのではないかと見せることで、同じような思いを持つ方が前に出やすい空気になっていく。そういう立場で動いていきたいと考えています。



