「人とのつながりが全て」バングラデシュと日本を結ぶ布わらじで描く、蛭子彩華さんの挑戦
- MIRAI LAB PALETTE 運営事務局

- 9月2日
- 読了時間: 13分
更新日:9月8日

バングラデシュと日本を結ぶ布わらじブランド「ami tumi(アミトゥミ)」を運営する蛭子彩華さん。学生時代に社会課題解決に向けて仲間と共にひたむきに行動に移し続けた「わらじプロジェクト」がブランド誕生の原点となっています。その想いは、妊娠中の法人設立、地域とのコラボレーション、そして新たなパートナーシップへと発展していきました。
そしてMIRAI LAB PALETTE(以下、PALETTE)での出会いが、新しい可能性を開こうとしています。
学生時代の転機―社会課題をビジネスの循環の仕組みで解決するという発見
―まず、ami tumiを運営するに至った経緯について教えてください。
蛭子さん:話は私自身の幼少期・学生時代まで遡るのですが、私は元々アートやデザインが好きで、美術大学への進学に心を惹かれつつも、それよりも社会的な課題にも強い関心がありました。より専門的に学ぶために立教大学社会学部に進学したのですが、ほぼ3年間、ずっとモヤモヤしていたんです。「社会にはたくさんの社会課題があることはわかったけれど、どうやって解決するんですか?」と授業後に先生に質問しても、「行政やNPOが対応していますね」といった曖昧な回答しか得られなかったからです。
そんな中、4年生の前期にたまたま受講した経営学の授業で、見山謙一郎先生と出会いました。見山先生は発展途上国などの低所得貧困層を対象としたBOPビジネス※を研究されていて、寄付や援助だけでなく、ビジネスの循環の仕組みで課題を解決していくアプローチを教えてくださったんです。今まで知らなかった手法があることに、雷が落ちたような衝撃を受けました。
※Base of the Pyramid(ピラミッドの底辺)ビジネスの略
―そこからバングラデシュとの関わりが始まったのですね。
蛭子さん:はい。先生が「(当時)アジア最貧国と呼ばれるバングラデシュで、学生主体のプロジェクトを始動したいと思っているので、興味のある子は授業の後集まってください。」とおっしゃったので、私も参加しました。それから次世代人財塾 適十塾(てきとじゅく)という団体名で2011年に「わらじプロジェクト」が始動したのですが、そのきっかけは、アディダスがバングラデシュで行った1ユーロシューズプロジェクトの先行事例でした。
現地では、靴を履かずに生活している子どもたちが足からばい菌をもらって、最悪の場合亡くなってしまうという社会課題がありました。それに対して、アディダスは安価な靴をつくることで課題を解決しようとアプローチを試みたものの、靴は工業製品であることから、ビジネスとしての持続可能性に欠けたことで大きな課題を残していたのです。
それを聞いた学生の一人が「バングラデシュは、日本と同じくお米を食べる共通の食文化がある。藁があるだろうから、わらじの編み方の技術を伝えれば自分で足も守れるし、日本へ商品としてわらじを輸出できれば雇用も生まれるんじゃないか」という仮説を立てました。そのアイディアがプロジェクトの種となり、秋田県のわらじ職人さんのところへ行って、直接技術を学んで習得しました。
その後バングラデシュに渡って技術伝承すると、はじめてとは思えないほどのクオリティのわらじができ、手応えを感じました。そこから現地の世界最大のNGO BRACに現地でのマネジメントと輸出などを行うパートナーになってもらうためにわらじプロジェクトの意義と可能性を提案すると、「藁は家畜の貴重な飼料だから、使えない」と言われてしまい、私たちの仮説が崩れてしまったのです。
しかし、彼らから「私たちは縫製大国で、Tシャツなどを作る過程で出てしまう綺麗な余り布ならある」という思いも寄らぬ逆提案を受け、素材を藁から布に変えて、ルームシューズとしての布わらじを作る方向にシフトしたんです。現地で雇用を創出し、得た収益で靴を買えるような循環の仕組みづくりへとマインドも変わりました。


―法人設立のきっかけは何だったのでしょうか。
蛭子さん:2015年に夫の仕事の都合でチリ駐在に帯同していた時、後輩の学生たちが中心となってわらじプロジェクトを仕切っていたのですが学生団体という性質で新入生の勧誘がうまくいかず、運営する人員がゼロになってしまったんです。適十塾1期生として、日本の自分たち学生が始めたプロジェクトが中途半端な状態になってしまうことに申し訳ない気持ちが高まって、2016年7月に帰国した際に見山先生に法人を設立した方がよいのではないかと相談したところ「よし、その気持ちがあるなら法人をつくろう!彩華が代表で」と、とんとん拍子に話が進みました。
その当時は第一子を妊娠中の臨月で、起業することは全く考えていませんでしたし、経営知識もなかったのですが、見山先生は「大丈夫。ほぼ全てのことって初めてだし、なによりも意欲が大切」とポジティブに笑顔で励ましてくださいました。それから重いお腹を抱えてすぐに定款を書いて法務局に提出し、2016年9月に法人を設立しました。8月に子どもが生まれたので、法人とのダブル出産でしたね(笑)。
見山先生の存在が本当に大きくて、いつも「ピンチはチャンス」と言ってくださる太陽のような方なんです。そして自分がやりたいと本当に思っているなら実現しよう!と常に前向きに考え、あたたかく見守ってくださるからこそ、今があると思います。なによりも見山先生ご自身がご自分の目標に向かって常にチャレンジし続けていらっしゃるので、その背中を見ながら「私も自分なりにがんばろう!」とエネルギーをいただいていますね。
ami tumiブランドの成長と新たなパートナーシップ

蛭子さん:「ami tumi」はバングラデシュの公用語のベンガル語で「私と君」という意味で、このブランド名で商品を展開しています。学生メンバーが名付けてくれました。日本とバングラデシュ、ami tumiとお客様など、さまざまなつながりを大切にしたいという思いが込められています。一番最初に日本でのパートナーになってくださったのが埼玉県秩父市にある「秩父地域おもてなし観光公社」です。
実は秩父との出会いも人とのご縁でした。秩父地域おもてなし観光公社の局長である井上正幸さんが、見山先生の高校時代の野球部の同級生だったんです。井上さんから「秩父を頑張って盛り上げているけれど、地域のためにもなる、もっと横のつながりを感じられるお土産が欲しい」というご相談をいただいて、コラボレーションが始まりました。
秩父の伝統工芸である秩父銘仙の柄を「Adobe Illustrator」でデザインを再現し、秩父オリジナルのわらじを製造して2016年から継続的にお土産として採用していただいています。
その後、アドビの当時コミュニティーマネージャーを務めていた武井史織さんとの出会いがあり、私たちの活動や秩父地域での事例に共感していただき、クリエイティブの力で地域の課題を解決するためのコミュニティーイベント「デザインジモト」を群馬県前橋市で開催することにもつながりました。お互いに群馬県出身という共通点があっただけでなく「デザイン」の力をより社会のために活かしていきたいという思いが重なったからです。地域のクリエイターさんを巻き込んで、前橋わらじという商品も生まれました。こちらは地域の美術館アーツ前橋のミュージアムショップに採用いただいています。
学生たちからも活動を通じて、さまざまなアイデアが出てきて、「桜わらじ」という商品も誕生しました。桜は満開に花を咲かせる時もあれば散る時もある。けれど、また季節が巡って必ずまた花が咲く。そして日本をイメージする花といえば桜で、世界からも愛される象徴です。適十塾という組織もまた、桜のような存在でありたいという願いが込められています。
現在は年間300足から500足程度の規模ですが、WFTO加盟企業のPalli Crafts LTDがパートナーとなり、フェアトレードの仕組みでバングラデシュのわらじ職人さん3名の雇用を継続できています。職人の一人からは「ami tumiのおかげで娘を大学に通わせることができ、とても助けになりました。子どもに教育を受けさせられることは、親としてとても嬉しいことであり誇りです」と言っていただけました。彼の言葉は、学生時代には想像もつかなかったことであり、本当に嬉しかったエピソードです。


―新しいパートナーシップも始まっているそうですね。
蛭子さん:今、とても楽しみなプロジェクトが進行中です。アパレル企業「Shinzone」の「takesRIBBON」というブランドとのコラボレーションです。
竹から糸を紡ぎ、服を生み出す革新的な取り組みを行っています。竹は成長が早く、抗菌性や消臭力が高いという優れた機能をもっているので、近年サスティナブル素材として注目されているのです。ブランドのデザインを手掛ける幾田桃子さんから、「服を作る過程で出てしまう端切れをami tumiの鼻緒に使ってもらえませんか」というご相談をいただきました。takesRIBBONは「全世界の人々を健康にする」というミッションを掲げていらっしゃり、Shinzoneの社員さん同士は「美意識って何だと思いますか」といった対話を日常的に行っているそうです。見た目の美しさだけでなく、心の美を育むという社風にとても共感しています。
今回のPALETTEでの展示に向けた「BAMBOOわらじ」と名付けた試作品を制作する過程では、単純に端材を再利用してほしいという相談では無く、精神や文化面を育むという点でも高め合っていけると感じましたし、自然体で一緒に取り組める感覚があります。これからの展開がとても楽しみです。

PALETTEとの出会いと活用の魅力

―PALETTEとは、どのようなご縁でつながったのでしょうか。
蛭子さん:私の夫の友人で住友商事の方がいらっしゃって、その方を通じてご紹介いただきました。コロナ禍の頃、その方がイギリス駐在中にオンラインでお話しする機会があり、その際に私の活動についてもお話していました。その事を覚えてくださっていて、日本に帰国された時に「彩華さんの活動を応援しているし、とても心地よい空間だから作業もはかどると思う。もしよかったら登録するよ!」と、PALETTEを紹介してくださったんです。
最初は利用者として、在宅ワークのリフレッシュを兼ねて利用していました。一人で作業していると視野が狭くなってしまうこともあるのですが、PALETTEに行くと気分転換にもなるし、さまざまな方から刺激を受けるので、非常にありがたい環境ですね。
鎌北(MIRAI LAB PALETTEコミュニティマネージャー鎌北雛乃):蛭子さんはずっとPALETTEに来てくださっていたのですが、なかなかお話しする機会がなかったんです。毎月最終水曜日に交流会を始めた際に、初めてお話しできたのですが、まさにこういう人と話をしたかったなって思いました。
蛭子さん:その時は10分ほどしか時間がなかったのですが、わらじプロジェクトの活動をご紹介させていただいたところ、鎌北さんが映画監督の古波津陽さんをご紹介してくださったんです。古波津さんは10年間、東日本大震災のドキュメンタリーを撮られていた方で、今一番行きたい国はチリだと仰っていたんです。私も「今年の夏か秋頃に、夫の仕事の都合で再びチリに行くんです」と言ったら、すごく興味を持っていただいて、そこから話が弾みました。
というのも、古波津さんがチリに興味を持たれた理由がとても興味深いものでした。東日本大震災の後、日本が防災経験を伝え、チリで大規模な避難訓練が行われたそうなんです。その成果が2014年の地震時に生かされ、津波被害を大幅に減らせたと伺いました。
古波津さんは、今度は逆に日本人がチリの防災への取り組みから学ぶというドキュメンタリーを制作したいと仰っていて、私が知らなかった側面のチリを知ることができ、非常に印象深い出来事でした。
―PALETTEを利用する魅力はどこにありますか。
蛭子さん:今回の展示での滞在を通じて気づいたことがたくさんあります。例えば「名刺ボード」も、長く滞在するからこそ発見できました。そこには利用者の方々の名刺がたくさん貼られていて、手書きでメッセージが添えられているんです。「こんな活動をしています」「こういう方と、つながりたいです」といったコメントを読んでいると、多様な分野で活躍されている素敵な方がたくさん利用されている空間なんだなと実感できて、とても温かい気持ちになります。
そして何より受付の方が皆さん本当に素晴らしくて、とにかく優しいんですよね。トイレに立つだけでも笑顔で「お疲れ様です」と目と目を合わせて言ってくださったり。受付の方ってPALETTEの顔じゃないですか。一瞬のやり取りだけでもあたたかみを感じますし、毎回「ここに来てよかったな。今日もがんばろう!」と感じます。
キッズスペースがあることにも驚きました。仕事場に子どもを連れてくるのはなかなかハードルが高いですが、これだけスペースを確保して子どもを大切にしている設備は珍しいですよね。人を大切にしているからこその配慮だなと思います。
チリでの生活を前向きに捉える

―先ほどのお話にもありましたが、間もなくチリに渡航されるそうですね。
蛭子さん:夫の駐在で3〜5年の予定と聞いた時、最初は正直落ち込みましたね。チリブルーでした(笑)。法人を設立して約10年が経ってやりがいが増してきた時期、かつ三児の子育てをしながらの仕事との両立がだいぶ落ち着いてきたところだったので。チリに渡った後、これまで培ってきた活動はどうなってしまうのだろうと、漠然とした不安を感じました。
しかしPALETTEで鎌北さんや古波津さんとの出会いがあって、古波津さんに「一番チリに行きたい」と言われた時に、「チリであったり海外に身を置くことは、自分の視野と可能性をすごく広げることになるんじゃないか」と思えるようになりました。PALETTEでの出会いで気持ちが180度変わったんです。そして見山先生からの言葉も思い出し、「ピンチはチャンス」にしたいなと思えています。
チリで何ができるかは行ってみないとわかりませんが、現地にいるからこそできる情報収集もあると思います。古波津さんとの出会いがきっかけで「心の避難訓練」というプロジェクトも私の頭の中で構想がはじまりました。物理的な災害への避難訓練だけでなく、ストレスなどの精神的な津波に心がのまれてしまう現代日本の課題に対して、何かできることがあるのではないかと考えています。PALETTEをフィールドに、鎌北さんや古波津さんと何かご一緒できれば嬉しいなと勝手に妄想しています。
―今後のami tumiの展望はいかがですか。
蛭子さん:お話しした通り、最初から行き当たりばったりの人生なのですが(笑)、やりたいことは一貫して「人を大切にしたい」ということです。
現在携わっていただいているバングラデシュの職人さんたちを大切にするということを基本にしたいと思っています。単純に人数を増やせばいいとは思えなくて、関わっている人たちが疲弊して悲しい思いをしてしまったら、それは私のやりたいことでは無くなってしまいます。関わってくださる方々としっかりとコミュニケーションを取って、みんなが満足した状態であるようにしたいと考えています。
これから本格的に始まろうとしているShinzoneとの取り組みでお客さまからの反応もまだ未知数です。でもやっていくこととしては、Shinzoneもわらじ職人さんも、お客さまも、私もハッピーという四方よしの状態で一つひとつ丁寧に進められたら最高だなと思っていますね。そしてPALETTEはまさに美しい絵を描くために、ひとつ一つの色を調和させる場なのだなと感じます。ぜひ今後もPALETTEを通じて出会う個性豊かな方々と一色では表現できない「こうあったらいいな」という素敵な未だ見ぬ社会像を一緒に描いていけたら嬉しいですね。
蛭子彩華/ebichileco
一般社団法人TEKITO DESIGN Lab代表理事・クリエイティブデザイナー
群馬県前橋市出身。立教大学社会学部を卒業後、商社系IT企業勤務 。2015年に南米チリに移住し、デザイナー活動を本格的に開始する。幼い頃から絵を描くことが好きで、学生時代に学んだ社会課題に対して、 「人を惹きつけるデザインの力」が活用できないかを模索するようになる。 そんな大学4年次に見山先生と出会い、次世代人財塾 適十塾に入塾。 2016年、学生団体の活動をスケールアウトさせるべく法人を設立。現在は3児の母。「社会課題をデザイン(つながり)で解決する」ことを軸に、行政・企業・NGO・個人など様々なセクターとパートナーシップを築きながら事業を展開している。


